太和殿とともに外朝の三宮殿を構成する中和殿と保和殿。
まず太和殿を過ぎると、少し小振りの中和殿。
太和殿に出御する皇帝の休憩所だったそうです。
中和殿の正面と玉座。屋根の上の宝珠と、玉座の黄色(皇帝にのみ使用が許された)が美しい。
保和殿は、中和殿の北側。科挙の最終試験「殿試」が行実施されました。
太和殿と並ぶ大きさですが、明代には皇帝が着替えするための宮殿だったそう。
着替えの場でこのスケールとは(贅沢すぎる・・・・)。
保和殿の玉座。「極有建皇」の額は、清朝の黄金期に君臨した乾隆帝の宸筆です。
ちなみに清朝というとアヘン戦争や日清戦争などでの敗戦国というイメージが強いですが、
康熙帝、雍正帝、乾隆帝が統治した1654〜1796年(日本では江戸時代)までの中国は、
世界最大の国民総生産を誇る、世界最高の文明国でした。
保和殿の基壇。晩秋の雪が石畳の上に残っていました。
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