嗚呼、阪急電車。 管理人のひとりごと | |||
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阪神間モダニズム | |||
鉄道オタクとはほど遠いのですが、 関西に住んでいる時代は阪急電車に憧れていました。 クラシックな焦げ茶色の車体はいつもピカピカで、木目調の車内に緑色の上品なシート。 世界で初めて誕生したターミナル百貨店まで遡らなくても、 日本で初めて自動改札を導入し、既にはるか昔から動く歩道があり、 地下街に川が流れているという斬新さも学生当時にはかなり衝撃的でした。 何よりも宝塚歌劇や東宝を抱え、 阪神間モダニズムの立役者でもあるという歴史的な経緯は、 限りなく文化的な香りを漂わせていた気がします。 でもいつの頃からか、なんか阪急、最近おかしくない? という気持ちの方が強くなってきました。 電車では、最大の看板だった「京都〜大阪間のノンストップ特急廃止」。 15分間隔の運転で、クロスシートの快適な乗り心地、 おまけに京都(大宮)と大阪(十三)を29分間で結んでいた速さは快適そのものでしたが、 いつのまにかいろいろな駅に止まるようになり、 すっかり特急は東京近郊並みの「ローカル私鉄」に成り下がっていました。 競合するJRの攻勢に対抗するため、停車駅を増やしたようですが、 結果的に最大の途中駅でもJRに完敗。あるホームページによると、 京都の都心4駅からの乗降客は20年間で20万人も減ったそうです。 JRにない阪急の強みは、京都側の駅が中心部(四条通)に位置していること。 これまで旧市街の人間は大阪に行くとき、ほとんど阪急や京阪を使っていましたが、 今のように停車駅が増えると、そりゃJRにシフトしますよね。 日本最大の私鉄ターミナルだった梅田駅も、 百貨店建て替えのために大幅改築中。 伊東忠太の彫刻などを施した旧き佳き空間も姿を消しました。 あの大聖堂のような吹き抜けを持つターミナルはまさに阪神間モダニズムの象徴だったのに・・・・。 集客力向上や競合店との対抗上、百貨店の建て替えは分からないでもないですが、 どうして同時に過去からの遺産を守り抜くことができないんだろう。 改築完成後に再び蘇ることに期待ですが、今の阪急にそういう企業文化は残っているのかな。 宝塚では、音楽学校のいじめが発覚。 事実はどうであれ、隠蔽体質だけが世間に暴露され、 いまなお問題となった学年は宝塚で活躍しているというわかりにくさ (生徒もある面、被害者ですよね。潔白なら劇団側がちゃんと説明すればいいのに)。 徹底した秘密主義(いい場合もありますが)がその風潮を助長してるのは否めません。 阪急創始者の小林一三先生がご存命なら、いまの阪急、宝塚をどう思われるでしょうか。 阪急って京阪神の歴史を語る上で大きな存在なんですよね。 マスコミなどが報道する偏った大阪のイメージの対極にあり、 一企業で日本で初めて都市文化、郊外文化の創造に貢献したという偉大さ。 その阪急がなんか「迷走」しているイメージを与えることに、 いわゆる「関西の地盤沈下」の本質的な問題が潜んでいる気がします。 かつてのように「さすが阪急」と思えるような時代がもう一度、訪れてほしいです。 余談ですが、東京での阪急のイメージ。 古くから東京に住んでいる人たちは「東宝、宝塚」のイメージもあり、 上品で好意的なイメージを抱いているようです。 実際は対立基軸じゃなく、都市としての親和性を感じる関東と関西。 古くから文化的な交流も活発ですし(関西でも三越はそれなりに有名です)。 上京してきた人々は東京で初めて縁が薄い「阪急」と遭遇するので、 位置づけが余り分からないようですが、それは仕方がないのかな。 阪急の車体の色に関しても、 都市部の出身者がたいてい「落ち着いて良い色」という感想を持つのに対して、 それ以外の出身者が「暗くて地味」と答えるのも、対照的で興味深いです。 ※このエッセーはあくまでも個人的な感想です。 |
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