古稀庵庭園  山縣有朋と無鄰菴

東京・関東の庭園 50音順リスト MAP (神奈川県小田原市)







念願の古稀庵。山縣有朋自筆の扁額をくぐります。
古稀庵は山縣没後に所有者が変わり、かなり荒れ果てた時期もあるとのことですが、
いまはあいおいニッセイ同和損害保険が研修所として使用、保存しています。
日曜のみの公開ですが、文化遺産を広く開放してくれる企業の姿勢に感謝です。






受付で100円を納め、庭に進みます。






古稀庵はかなりの高低差を利用して造られており、写真奥の回廊に沿って進みます。
まず目の前に広がるのは、穏やかな小川が流れる庭園。






奥の建物(研修所)の場所には、伊東忠太が設計した洋館と、明治天皇を祀った私設の槙ケ岡神社があったようです
(現在は栃木県の山縣有朋記念館に移設されています)。













小川の曲線と広がり――。どことなく無鄰菴に似ているような印象を受けます。







小川の奥に滝が造られているところも、無鄰菴と同じかな。






かなり急な傾斜の回廊を降りて、さらに下の庭園へ









奥に見える石橋まで、まさに自然そのものの風景。












一見して人工と分かるのは、このお地蔵さんと、石から水が染み出ている滝組くらいでしょうか。
あいおいニッセイ同和損保による適切で簡潔な案内、説明はとてもありがたいです。









見上げれば一面の緑、足元には清流。
当初からこのような感じだったのか、年月を経た結果としてこのようになったのかは不明ですが、
山縣は古稀庵の庭園に関して、「自然への回帰」を目指したとも伝えられています。








この大木は創建当初からあったのかな。
庭のどの部分が当初から残されたものかわからず、つかみ所がないとの感想も出ているようですが、
山縣が自然との調和を考えて作っていたとしたら、ある程度の改変はあっても許容範囲では?
古稀庵は、少し以前からよく聞く「ビオトープ」という概念をいち早く採り入れていたとも思えます。
なお古稀庵の近くには戦前戦後に「電力王」と呼ばれた、松永安左ヱ門(耳庵)の記念館もあります。露地は傑作です。




無鄰菴


高瀬川源流庭苑


椿山荘

山縣有朋の生涯は、岩波新書「山県有朋」(岡義武著)が分かりやすくて詳しいです。
政治家としての実績などだけではなく、自らが設計した庭への思い入れなども書き込まれています
(古稀庵に関する記述は本文103ページ)。





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