大徳寺境内 密庵と曜変天目茶碗の龍光院


大徳寺の境内で目を引くのは、朱塗りの三門。天正17年(1589年)の竣工で、国の重要文化財です。
建築に携わった千利休が自らの木像を安置したことで豊臣秀吉の怒りを買い
(秀吉がその木像の下を潜ることになるため)、切腹を命じられたという風説はあまりにも有名


寛文5年(1665年)、京都の豪商によって寄進された仏殿(重要文化財)。
典型的な禅宗様建築で、堂内は簡素ながら、厳粛な空気に包まれています。
国宝の方丈や玄関、唐門は非公開、三門や法堂にも立ち入りはできませんが、
ここ仏殿だけは公開されていて、参拝客がお詣りできるようになっています。
でもなぜ名建築が並ぶ境内に立ち入り禁止で、非公開なのか素人には分からない事情があるのでしょうか。

仏殿の北側に建つ法堂。小田原藩主の稲葉正則が寛永13年(1636年)に再建しました。重要文化財
龍光院 



非公開、拝観謝絶の塔頭としては龍光院(りょうこういん)も有名ですね。
この龍光院は単なる塔頭ではなく、日本に3軒しか存在しない国宝の茶室「密庵(みったん」、
世界に3つしか(それも日本にしか)存在しない曜変天目茶碗を抱えているという名刹中の名刹。
密庵、曜変天目茶碗と共に「日本でお目にかかるのが一番難しい国宝」とも言われているそうです。


拝観謝絶の塔頭、龍翔寺。
こちらも山口玄洞の寄進により再建され、いまは大徳寺派寺院の専門道場として使われているようです。

大徳寺の塔頭はほとんどが拝観できませんが、
門外から中の景色を垣間見るだけでも、洗練された和の美しさを感じることができます。

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