旧安田庭園   / 旧両国公会堂

東京の庭園  MAP   東京の大名庭園    





両国駅から徒歩で約5分の場所にある旧安田庭園。
江戸時代の元禄年間に笠間藩主の本庄宗資(むねすけ)が下屋敷を造営した時、
将軍来訪(将軍お成り)に合わせて作庭した大名庭園が基になっています。
本庄宗資は江戸幕府五代将軍、徳川綱吉の生母である桂昌院の異父弟。元は京都の二条家(摂関家)の下級家臣でしたが、
桂昌院の権勢に支えられ、最終的に大名まで上り詰めました(二条家の家臣なので、縁戚ではありません)。



明治に入ってからは旧岡山藩主池田章政(あきまさ)の邸宅を経て、
1891年(明治24年)に安田財閥の創始者である初代安田善次郎がこの庭園を取得。
1922年(大正11年)には安田財閥からの寄贈を受けて東京市が保有し、「旧安田庭園」と命名しました。
その後、1967年(昭和42年)には東京都から墨田区に所有者が移管されて今に至ります。



旧安田庭園は関東大震災で壊滅的な損害を受けましたが、東京市は当初の石組みなどを復元。
さらに2005年(平成17年)には墨田区が全面的な整備を完了し、大名庭園の面影を残す美しい庭園として蘇らせました。





ただ唯一残念なのは、この庭園のランドマーク的存在だった両国公会堂が取り壊されたこと。
耐震設備の整備に予想を超える費用が必要になったことが理由とされているので、財政面で保存は難しかったのかもしれません。



跡地に建てられた刀剣博物館の建物も洗練された現代の名建築なのですが、
緑青色のドームを頂く円形の名建築がこの庭園と一体化した魅力を醸し出していたため、現状には少し物足りなさを感じてしまいます。


 西門から東門へ時計の逆回りに





両国駅に近い西門から入って少し歩くと視界が開け、目の間には広々とした庭園。
小石川後楽園六義園の広さには及びませんが、
この規模の大名庭園が美しい形で残っているのは、東京都と墨田区が整備を進めてきた努力の賜ですね。







中央の池(心字池)で風景を引き締める大きなアクセントになっているのは、州浜の先に置かれた雪見灯籠と中島





中島は、素人の自分が観てもおそらく亀をかたどった「亀島」と想像が付くほどわかりやすい造形





亀島の石組みも見事で、正面の縦長で板状の石は小石川後楽園の「徳大寺石」とそっくりな形状になっています。







改修前の中島は鬱蒼とした木々に覆われて原型もわからないほどでした。
墨田区の整備事業が行われなければ、整然とした庭園の魅力は今に伝えられなかったでしょうね。





州浜の雪見灯籠の対岸にも少し火袋の意匠を変えた雪見灯籠







荒磯の沢飛石。かつて心字池は隅田川から水を引く「汐入庭園」でしたが、今ではポンプで水位を調整しています。
訪れたときは沢飛石を通ることができましたが、ポンプによる水位調整で沢飛石が水に浸かり、渡れない時間帯もあるようです。
約20年ぶりに再訪した日は11月下旬の夕刻。庭園が夕日で紅く染まる時間になるとライトアップが始まります。


  2025年のポスター






訪問前はそれほどライトアップには期待していなかったのですが、なかなか美しくて素直に感動。
特に太鼓橋の照明が白から徐々に真紅に変わっていく時間の流れ(約30秒ほど)はずっと眺めていても飽きませんでした。









橋本来の色である白も綺麗ですが、真紅の照明になったときは徐々に色づいてきた楓と同化してさらに美しかったです。







2005年の改修前の太鼓橋は確か欄干部分が木製の紅い橋だったと思うのですが、現在は白の石橋に生まれ変わっています。





園内ではところどころで楓が紅葉し、庭園に鮮やかな彩りを添えていました。
ところで人出は日曜の夕方だったにもかかわらず、ライトアップ前はどちらかと言えば空いている印象でした。
16時半のライトアップ開始後は人が多くなってきましたが、それでも混雑というほどでもなかった気がします。
ちなみに旧安田庭園は、これだけ多くの見応えと見どころがありながら無料で入園できます!


 
懐古の両国公会堂





両国公会堂(当初は本所公会堂)は安田財閥の寄付金を基に東京市が1926年(大正15年)に建設しました。
設計したのは、五代友厚の甥に当たる森山松之助。
台湾総督府や浴場建設の白眉と言われる長野県諏訪市の片倉館などの設計に携わりました。
近代の名建築と大名庭園が共存する風景は東京らしくて大好きでした――!



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