
門から受付の入り口に向かうまで。石畳まで覆い被さるほどの見事な松が印象的

優美な唐門


途中からは、飛び石の色合い、形状も個性的な「草」の延段のような石畳に。
こちらも「七五三の庭」と同様、外から七個、五個、三個の石で構成されています。
方丈と南庭 



受付を済ませて方丈(本堂)へ。松が植えられた南庭は村田珠光らの作庭とされています。
ただ松の存在感が大きすぎて、庭の造作などにはあまり目が向かなかった印象。
方丈は1636年(寛永13年)、京都の豪商京の豪商後藤益勝の寄進で建てられました。
北見けんいち氏など現在のアーティスト6人が描いた方丈の襖絵は今回の特別公開の目玉になっていました。、

ところで「真珠庵」という美しい塔頭の名前は開祖の一休禅師が命名しました。
日本に伝わった臨済宗の源流の一つとなった中国北宋の楊岐派(ようぎは)の開祖、
楊岐方会(ようぎほうえ)が雪の夜、荒れ果てたお寺で座禅をしていたところ、部屋に雪が降り込んできたそうです。
そのときに床に積もった雪が月に照らされ、真珠のように輝いたという故事が名前の由来になっています。
真珠庵のパンフレットでは一休禅師の遺志を継いだ尾和宗臨らが創建となっていますが、
一休禅師の命名だとすれば、応仁の乱で一休禅師が創建した真珠庵が応仁の乱で焼失したため、尾和宗臨らによって再興されたとなるのかもしれません。
西庭 


庫裏と方丈の間に作られた簡素な庭。
個人的には、この石燈籠と井戸などが作り出す独特の洗練された空間がいかにも大徳寺という感じで気分が高まります。

方丈北側から観る西庭、木の枝ぶり、少し離れたところから眺めても庭が引き締まるよう考えて設置された石燈籠の位置
北庭 


書院「通僊院」と茶室「庭玉軒」に通じる方丈北庭


村田珠光遺愛の手水鉢。横には、紫式部または和泉式部が産湯に使ったとされる井戸があります。

手水鉢の形状、風合いは見事です。


北庭の一角につくられた露地風の庭。
風格ある自然石の手水鉢と飛び石の配置、壁の色合いなどがまさに「大徳寺」。
どこにでもありそうな何気ない光景なのですが、この雰囲気は意外に他の寺院でなかなか体験できません。

→ 方丈東庭「七五三の庭」と訪問記

大徳寺の境内
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