料亭左阿彌 茶室「寛楽庵」 左阿彌(さあみ)の誕生は元和元年(1615年)。 現在は円山公園となっているこの地に、 織田信長の甥(織田有楽斎の嫡子)である織田頼長が寺院として建立しました。 その寺院「長壽院左阿彌」は安養寺の塔頭として造営され、 他にも春阿彌、正阿彌など「阿彌」を名乗る塔頭が5カ所あったことから、「円山の六坊」と呼ばれていたそうです。 その後これらの塔頭は時代の流れとともに姿を変え、 左阿彌は嘉永2年(1849年)に料亭として営業を始めました。 明治以降は山県有朋などの大政治家や川端康成、志賀直哉などの文豪も訪れ、 京都有数の老舗料亭として歴史を重ねています。 左阿彌は地元でも親しまれており、よく同窓会などの記念イベントで使われていた記憶があります。 自分が訪れたのはコロナ禍前と2023年12月の初旬。想像以上に美しい紅葉が出迎えてくれました。 2回とも食事を頂いた場所は寛楽庵。ここと遍松庵は由緒あるお茶室となっていて、 自分たちだけの時間と空間で美味しい京料理を堪能することができます。 茶室「遍松庵」 地図 / トップページ 料亭の庭 紅葉の風景 老舗にふさわしい立派な門構えと石燈籠。 予約した時間の少し前に到着すると、既にお店の方が玄関で待っておられ、お部屋まで案内して下さいます。 陽射しを浴びて光と影がくっきり浮かび上がる中門までへの延段(石畳の通路) 石畳の横に据えられた伝統を感じさせる石燈籠や蹲踞(つくばい) 中門も風格ある佇まい。 門を入ると、左側に「寛楽庵」、正面に「遍松庵」、右側に本館があります。 「寛楽庵」の前から見る中門と露地風の庭 本館の庭と客室 本館前に置かれた石燈籠と緋毛氈の長椅子 ひょうたん型にくりぬかれた窓の向こうに見える本館の坪庭 美しい棗(なつめ)型の手水鉢と厚い柔らかみを持つ飛び石 最上階の部屋「華頂桃山」のテラスから眺める京都の町は絶景! 華頂の名前の通り、知恩院(華頂は知恩院の山号)の屋根が手前に、そして左大文字が正面に。 そして印象的だったのは、1990年代に「高さ制限の緩和」で話題になった某ホテルの存在が目立つこと。 当時は「10メートルや20メートルくらいの高さでそれほど騒がなくても」と無関心だったのですが、 あらためて京都ではビルの高さが景観を維持する上でたいせつな要素になっていると痛感しました。 本館には大小いつくかの部屋があります。 こちらの部屋では窓の外の景色が額縁のごとく。この広々とした部屋で頂く料理も美味しいだろうな。 この他にも結婚式の披露宴が行える大広間など、美しい部屋の数々を案内してくださいました。舞台、かっこいい!
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