白河院庭園 

南禅寺界隈の庭園
 小川治兵衛の庭園 京都の庭園 地図 料亭の庭 邸宅の庭




11世紀に建立された大寺院、法勝寺(ほっしょうじ→ trivia1)の跡地に建てられた岡崎の白河院
武田五一が設計した数寄屋造りの主屋の前に七代目小川治兵衛(植治)が設計した池泉庭園が広がります
同じ南禅寺界隈にある何有荘の洋館も武田五一の設計でした)。
もともとは呉服商の下村忠兵衛が大正8年(1919年)につくった別荘で、
庭と建物もそのときに整備されました。
現在の正式名称は「日本私立学校振興・共済事業団京都宿泊所『白河院』」。
京都御所近くの私学会館(現在の京都ガーデンパレスホテル)と同じく同事業団の運営ですが、
私学共済加入者以外の宿泊、食事だけの利用も可能です。
岡崎という一等地に位置しますが、平安神宮南禅寺から少し微妙な距離にあるため、比較的観光客も少なく、
ゆっくりと植治の名園と武田五一の名建築を楽しむことができます。

ちなみに下村忠兵衛は大丸創業家と同じ苗字なので、大丸百貨店と関係ありそうなのですが、
実は大丸創業家との縁戚ではなく、呉服商、銀行の頭取として京都の財界で活躍されたようです(名古屋大学のサイト参照)。





豪華な別荘時代を彷彿とさせる立派な門構え(今の入り口は別の場所=近代的な建物のホテル側に)









ホテルの玄関から少し歩くと庭の入り口に






門をくぐると、目の前にはこの絶景!









「植治の庭」という先入観があるのかもしれませんが、
石燈籠の配置、植栽がつくり出す景色など、やはり絶妙な美しさを醸し出しているなぁと痛感。






苔の美しさも含め、植木職人さんたちのきめ細かい手入れにも脱帽です。









浅瀬の飛石の置き方なども、植治の庭に特徴的なのかな。無鄰菴と似ている気もしますね。









白河院のもう一つの見どころは、ロビーや建物の中から眺める庭。
玄関を入ってすぐのロビーの窓から観る庭園のパノラマはまさに名画のような、息を呑む美しさです。圧巻!







訪れた日はたまたま人が少なかったので、ひとりでロビーを独占し、この景色を堪能できました。









大広間のガラス越しに観る庭園。以前、梅雨明け間近の7月に訪れた時はあいにくの夕立で外に出られなかったのですが、
どこから観ても外の庭が美しく見えるような造りになっているので、雨でも美しい庭の景色を観ることができました(下の写真)。












武田五一が設計した数寄屋造りの別館(本館は近代的な建物で、こちらは別館のようです)。
優美な庭との調和は、まさに「絵になる」景観です。







庭園の一角には茶室「無心庵」も









京都の街中の庭の不思議でもあるのですが、京都の旧市街はほぼ平坦にもかかわらず、
庭園では意外にどこも高低差(→ trivia2)がつくられています(洛中ど真ん中の吉川なども)。










これだけの名園が特に観光地にもならず、ひっそり佇む南禅寺界隈の奥の深さ!
白河院庭園には休憩する椅子なども設けてあり、特にゆっくりとした時間を過ごすことができます。





2013年7月に家族と食事で訪れた時。
予約をすると、一家族でも○○様と玄関に名前を記してくださいます。嬉しい驚きで、思わず記念写真(笑)




trivia1 法勝寺

正式名称は「ほっしょうじ」ですが、法勝寺町に住んでいた高校時代の友人は「地元では『ほうしょうじ』やで」と言ってました。
同じような例が京都では多く、地名としては(他でも何回も触れてるように)「相国寺」は「そうこくじ」、「龍安寺」は「りゅうあんじ」、
山科の「勧修寺」も「かんしゅうじ」と言われていた気がします。
地元の呼び名に対して地方から来た人から「あなた、間違ってるよ!」と言われると、少し複雑な気分にもなりますね。
ひとりごとでも触れましたが、バス停の名前を地元で親しまれている呼び方ではなく、
観光客に分かりやすい名称に変えろ!という主張などは、あまりにも自己中心的で少しうんざりします。

trivia2 京都の高低差

ただ広い範囲では北から南に掛けてなだらかな傾斜になっているため、例えば今出川通から四条通まで自転車に乗ると、
往路は楽に快走できても、復路は「見えない坂道」でけっこう疲れます。



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