瑠璃光院 (旧料理旅館 「喜鶴亭」、田中源太郎別邸) 地図 料亭・高級旅館の庭 邸宅・別荘の庭
八瀬・瑠璃光院の紅葉
京都有数の紅葉の名所となった瑠璃光院は、
もともと京都の実業家、田中源太郎の別荘として建てられました。
その別荘に「喜鶴亭」の名を付けたのは、公卿出身の明治の政治家、三条実美。
彼は公家では摂家に次ぐ家格「清華家」の出身で、明治政府では太政大臣を務め、
生前に位階の最高位である「正一位」も授けられました(正一位の生前授与は日本の長い歴史の中でわずか7人だけ)。
ただ田中源太郎が他界した後、喜鶴亭は田中が創業した京都電燈の重役らの別荘になり、
その後は京都電燈が開設した叡山電鉄(叡電)を引き継いだ京福電鉄が
高級旅館「喜鶴亭」として商業利用することになりました。
しかし旅館「喜鶴亭」もやがて廃業となり、岐阜県に本拠を置く浄土真宗の光明寺が買収。
喜鶴亭の名前は茶室の名前とし、寺院「瑠璃光院」として再スタートしました。
お寺なので御本尊も置かれ、熱心な写経活動もされていますが、
庭と建物はそのまま遺したまま使用されているので、
建物は寺院の伽藍ではなく、庭は別荘(または高級料亭)の趣を残したまま。
庭ファンの一人としては、以前からのものを全て壊して刷新するのではなく、
以前から伝えられた名園でも名建築でもを大切に保存し、
次の世代へ伝えていこうという瑠璃光院の姿勢がとてもうれしいです。
さらに個人や特定法人の所有になると
南禅寺界隈の何有荘のようにほぼ永久的に公開されることもなくなるので、期間限定での公開にも感謝です。
ちなみに喜鶴亭をつくりあげたのは、数寄屋造りで名を馳せた棟梁の中村外二。
庭園は「桜守」でも有名な佐野藤右衛門の一門が手がけたとされています。
庭に関しては、山門から玄関までの「山露地の庭」、書院の「瑠璃の庭」、
喜鶴亭の名を冠した茶庵「喜鶴亭」の「臥龍の庭」の大きく3つに分けられます。
同じ別荘建築である旧粟田山荘や旧邸御室と
なんとなく共通点(立体的な造形ということだけではなく)があるような気がします。
ところで旧粟田山荘はホテルオークラが手放した後、2023年末時点でも新たな所有者は発表されないまま。
京都では買い手が付かずにそのまま放置されたままとなっている料亭や別荘庭園も多いと訊くので、
上にも書いた通り、瑠璃光院のように貴重な別荘の遺構と庭園を保存し、公開してくれる寺院には感謝!
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