廣誠院 こうせいいん  京都の庭園  池泉庭園  邸宅の庭 京都の名庭   地図



 書院

旧薩摩藩士の伊集院兼常(いじゅういん・かねつね)が高瀬川沿いに建てた数寄屋造りの元邸宅、廣誠院。
南禅寺界隈の別荘で有名な對龍山荘に伊集院が移居した後、住友財閥の初代総理、廣瀬宰平の長男、廣瀬満正が所有し、臨済宗の寺院として今に至ります。
以前から書籍やインターネットで写真を観て、一度は訪れたいと思っていたところ、フェイスブックで公開されていることを知り、喜び勇んで伺いました。





 茶室・広間・庭園

廣誠院は、すぐ近くを流れる高瀬川から水を庭に取り込み、そして再び高瀬川に戻すという仕組みになっています。
高瀬川の源流は、すぐ近所にある山縣有朋の別荘だった第二無鄰菴(現在のがんこ高瀬川二条苑)

作庭で抜群の才能を発揮した山縣有朋も、伊集院の庭に対する感覚には一目を置いていたようで、
山縣の庭造りで名を馳せた七代目小川治兵衛も伊集院からいろいろアドバイスを受けたそうです。






伊集院兼常は大成建設(当時は日本土木会社)の設立に関わった実業家で、鹿鳴館の建設にも関与しました。
一方で「和の美」を追求した文化人でもあり、廣誠院には伊集院の美的感覚が余すところなく具体化されています。
薩摩出身の伊集院と、長州出身の巨頭、山縣有朋が親しい関係だったことも意外でした。


伊集院の後を受け、明治35年に廣誠院を所有した廣瀬満正は、住友家初代総理人、廣瀬宰平の長男。
実業家の道を歩み、貴族金議員も務めました。
広瀬宰平は、別子銅山(愛媛県)の近代化に尽力し、住友財閥の事業発展の礎を築いたことで有名です。





山縣が伊集院に贈ったとされる欄間






両親や友人と意識もせず何回もその横を通っていた高瀬川。京都を離れると、とても情緒のある川だったんだと痛感します。
さらに廣誠院や第二無鄰菴(現在のがんこ高瀬川二条苑)など、名園の「源流」が高瀬川にあることを知り、存在の大きさを再認識しました
(写真は高瀬川二条苑の高瀬川取水口)。






【撮影後記】
念願叶って拝観が叶った廣誠院。見学に当たっては、廣瀬家のご親族の方が丁寧に説明してくださいました。
当時の屈指の実業家で、数寄者だった
伊集院兼常の経歴から、廣誠院の成り立ち、各部屋の造りや庭の見方など――。
こちらの質問にもわかりやすく、親切に対応していただき、素晴らしい庭の見学とともに、貴重な時間を過ごすことができました。
存じ上げなかった貴重な情報をいろいろ教えてくださったのですが、そのときにメモしていなかったので、いくつか忘れてしまったのが悲しいです・・・・。
特に次回お伺いしたときは、庭に気を撮られて写真が疎かになった書院やお茶室の内部をじっくりと鑑賞したいですね。
見学後のお茶席では、快適な温度に設定された室内で、柳桜園の冷茶と鍵善良房の干菓子をいただきました。久しぶりに京都の一流の味を堪能!
訪問時や見学後に案内してくださった女性の方のご対応も完璧、また帰洛の際にはお伺いしたいと感じた廣誠院の拝観でした。

造形礼賛への写真掲載も許可していただき、ありがとうございました!
これだけ素晴らしい建物、お庭を紹介させていただくことができ、心から感謝しております。




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